現在世界は、新型コロナの脅威を受け入れ、ある程度の犠牲の上に経済を通常化させるウィズコロナ戦略と、新型コロナをほぼ封じ込めた上で経済を通常化させるゼロコロナ戦略に分かれています。
移民国家であり、国境を封鎖することが実質不可能であるヨーロッパやアメリカは、ウィズコロナ戦略を採択して、ワクチン接種を普及させたのちに経済を再稼働させる流れです。一方、中国や台湾、オーストラリア、ニュージーランドなどは、徹底した封じ込めを最初に行って新規感染者を実質ゼロに近付けたのちに経済を再稼働させています。
島国である日本は本来水際対策が容易でゼロコロナ戦略が可能であるため、「休業と補償」をしっかりとセットにした上で、ゼロコロナの社会を目指すべきです。安倍・菅政権の下、ちぐはぐなウィズコロナ戦略を続けてきた結果、緊急事態宣言の繰り返しで日本社会は結果的に17兆円を超える経済的損失を被りました。ウィズコロナで経済が回復した他国と比較すると、「アベノマスク」や「GoToキャンペーン」に象徴される日本政府のその場しのぎ・場当たり的な新型コロナ対策の過ちは明確です。
直ちに新型コロナ対策をゼロコロナに転換させ、水際対策の徹底、PCR検査の拡充、積極的疫学調査とクラスター対策ができる体制作り、ワクチン接種の普及の全てがなされるべきです。ゼロコロナを作り出す徹底した防疫体制の構築こそが、最も効果的な経済対策なのです。
ヨーロッパ諸国から生まれた社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)という考え方は、福祉の世界基準です。
社会的な擁護を必要とする人達(障がいや難病を抱えた方達、ひとり親家庭、生活困窮者、ニート、引きこもり、DV被害者等)が「居場所」を持てず、社会参加が進まない国に未来はありません。多様性は力です。民主主義を支える思いやりの心は、他者を排除する土壌からは絶対に生まれません。
私が専門とする社会福祉学は社会的排除と闘う学問ですが、単に道徳的な正しさのために排除と闘うのではありません。それがひいては民主主義を守り、人々の幸福に資するからこそ、絶対に社会的排除を許さないのです。まさに、情けは人の為ならず、です。
国連が定めた2030年までに達成すべき「持続可能な開発目標」(SDGs)も、「誰一人として取り残さない(Leaving no one left behind)」をスローガンに掲げています。
震災後に高まった「絆」に代表される社会連帯の機運を一層広げ、誰一人社会から排除されることが無い日本社会を目指します。
菅総理は、「自助・共助・公助」を自民党総裁選の際にスローガンに掲げましたが、その本質は「自助」の強要です。それは、自民党政権が中曽根政権以来一貫して掲げて来た市場原理主義・競争至上主義の「新自由主義」のイデオロギーそのものです。
自己責任を基本に「小さな政府」を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系を意味する「新自由主義」は、格差の拡大と不平等を不可避とする歪んだ政治経済システムです。
過度な自己責任論を押し付ける「自助」中心の「小さな政府」から、「共助・公助」に軸足を置いた「大きな政府」への転換が日本社会に求められています。また、内閣法制局が長年認めてこなかった集団的自衛権を安倍政権が閣議決定で覆したことに象徴されるように、今、日本社会では法治国家の土台が揺らいでいます。憲法の理念に基づいて政治を行う「立憲主義」を取り戻すことが切実に求められています。
「新自由主義」によって、食料安全保障の中核であるべき農林水産業までが、今激しい国際競争に晒されています。このままでは、日本の農業や水産業は自己責任の結果国際競争に敗れ、産業として衰退するだけでなく、日本人は食料という国家の生命線を他国に依存することになります。
「食料の自給できない国は、真の独立国ではない」(シャルル・ド・ゴール仏大統領)という言葉が示すように、普通の国家では農家の所得を補償してでも営農を継続できる環境を整えます。国民の命に直結する食は全力を挙げて守るべきものです。
ポストコロナは分散型社会となり、地方移住が促進され、地域経済の重要性が益々高まります。現在のコロナ禍で中小企業を苦しめている消費税を時限付きでも5%まで減税し、また法人税や株式配当等への累進課税や総合課税制度を導入することで、都市部の富裕層や大企業から地方の生活者と中小企業へ富の再配分がなされない限り、真の意味での地方創生は絶対に成り立ちません。日本における地域間格差の解消は、SDGsの理念にも沿うものです。
何時の時代も未来を切り拓く力は「知恵」です。新型コロナ禍において、日本の国力の衰退を感じましたが、それは国産ワクチンを早期に作れなかったことに象徴されます。ワクチン接種において、イギリス・アメリカが優位に立ったのは、研究機関と製薬会社が世界最高水準であるからです。そして、それを支えるのが大学などの高等教育機関です。かつて東京大学は日本の最高学府であるのみならず、アジアの最高学府でした。ところが、今はアジアでも7位にまで大学ランキングが下がっています。
ハーバード大学に代表される伝統校を超えるために、アメリカではキャンパスを持たない全寮制のミネルバ大学が創設されました。最先端の心理学と教育学の知見を取り入れたICTによる少人数オンライン授業と、世界7か国の都市で寮生活を送り、異文化に触れながら各地の企業やNPOと共同プロジェクトを実施することで、ミネルバ大学の学生達の思考力は創設3年にして全米1位になりました。ICTを活用した少人数セミナー制と体験学習は、世界レベルのエリート教育の主流になりつつあります。
ポストコロナの不確実な未来を「生き抜く力」は、象牙の塔にこもっていては手に入りません。新時代に相応しい「真の教育」を作り上げない限り、世界における日本の地位は今後も低下し続けることになります。偏差値教育からの脱却と創造性を高める「真の教育」が、今こそ日本で求められています。